チャート・マニア・ラボ

音楽チャート・ポップス研究者(自称) ポップス音楽と食べることが好きなオタク

2018年 マイ・ベスト読書

 f:id:djk2:20181226014028j:plain

 

 今回は少し気分を変えて、本の紹介をしたいと思います。普段の記事よりパーソナルな記述が多いので、音楽の情報を見たい方はこの記事はスルーで良いかもしれません。(音楽関連の本も紹介していますが)

 

 以前は読書に対して堅苦しい印象があって、あまり好きではなかったのですが、自由に本を読むようになってからは読書が好きになり、いまでは読書で得た経験が自分の一部になっているという実感があります。

 

 そんな私の一部となった本を10冊紹介したいと思います。順不同です。本はかなりマイペースで読んでいるため、そこまで新冊は読んでいないです。

(なので今年話題のあの本が無いの?というのは単純に読んでいない可能性が高いです)

 

 

・小泉恭子 『音楽をまとう若者』 (2007)

のりゆきのインタビュアーをはぐらかすような語り口は、教室の中での「音楽にうるさいやつ」としての彼の立場を補強するものであった。彼にとってパーソナル・ミュージックとは、グループの中での自分の立ち位置を確保するための有力な道具だったのである。 (P43)

 

 高校生にインタビューを行い、その音楽を選ぶ心理を探る一冊です。それは誰から教えてもらった曲なのか……そして高校生は人前で本当に自分の好きな曲を話すのか……また男女で語り方に違いはあるのか……など。

 面白かったのはGacktが在籍していたビジュアル系バンド、Malice Mizerについての描写です。引用部分に登場するのりゆきは、Malice Mizerをマニアックなバンドとし、これを「好きなバンド」にして「音楽マニアキャラ」を確立していましたが、後に登場するビジュアル系リスナーの女子高生はMalice Mizerを「けっこう普通の」「メジャーな」バンドとしていたのです。同じバンドでも人によって捉え方が全く異なる、ということをあぶり出したのです。

 本の最後の部分に

「携帯電話や音楽配信をはじめとする聴取の手段が外見上変化しても、音楽行動の根底にある心理構造を説明できる音楽社会学の理論として、永く参照に耐えうる研究であることを願っている」

 と書かれていましたが、むしろストリーミングの時代の今と相性の良い研究だと感じました。ストリーミングにおいては、あらゆる曲へのアクセスが平等になったため、いかに「選ばせるか」ということの重要度が上がったからです。

 今まで読んだ音楽関連の本の中で、一番といってもいいぐらい発見が多かった本でした。

 

山田修爾 『ザ・ベストテン』 (2008)

目線を常に一般視聴者と同じにするのが『ザ・ベストテン』の番組スタンスだけに、一部の作為を持ったファンの声をあまり多くデータに反映させるのは良くないと考えたからだ。そんなこともあって、データ集計の比率を途中から「30%、30%、30%、10%」に切り替えた。ハガキの比率を下げたのである。 (P22)

 

 音楽チャートマニアとしてはかなり気になる番組、「ザ・ベストテン」 私はこの番組の放送時にはまだこの世に生を授かっていないので、どのような番組かを体感することは不可能ですが、この番組の企画・演出に携わった山田修爾さんの1冊によって雰囲気をある程度感じることができました。

 この番組のチャートへの「こだわり」はかなり感銘を受けました。引用部分で紹介した%の細かい調整もそうですが、他にも出演者が出られない場合にもランキングは決して曲げない、などランキングの信頼性を何よりも重視していることが伺えました。P189にある

若い世代から多くの支持を得ているのに、それを視聴者に紹介しないのは、テレビという媒体が、その機能を放棄しているに等しいと感じたのだ。ランキング方式は、ニューミュージック系歌手の掘り起こしに成功し、出演拒否という壁にぶつかりながらも、より多くの人に、その存在、曲のすばらしさ、詞の凄さを知らしめることができたと思っている

 という部分には特に心を動かされました。

 音楽チャートが歴史的テレビ番組となり、お茶の間を彩る……そんなかつて起きていた奇跡ともいえる瞬間を味わうことができる、そんな1冊だったと思います。

 

・金 成玟 『K-Pop 新感覚のメディア』 (2018)

80年代半ば以降、韓国の若者は日本型アイドルにも大いに反応した。当時の韓国では日本のポピュラー音楽の流入が禁止されていたにもかかわらず、近藤真彦松田聖子、少女隊、光GENJIなどの音楽が大学街や繁華街の音楽喫茶を中心に流行し、海賊版のカセットテープやビデオテープが流通した。 (P8)

 

 このリストのなかでは唯一の2018年に発行されたものです。今年も話題になったK-Pop。そのK-Popを丁寧に紐解き、歴史などを解説した「教科書」的な1冊です。この本の最後にも「本書が目指すのは、変わりつづけるK-POPを理解するための文脈と視座を丁寧に提供することだ」と書いてあります。

 K-Popが何から影響を受けたのか?などの歴史が描写されており、音楽の流れのようなものが分かります。日本の音楽や芸能界も比較的影響があったようです。

 K-Popを知らない人でも、既に知識のある人でも楽しめる本であるように感じました。個人的には「ポンキ」に関する記述が興味深かったです。

 

小川博司 『音楽する社会』 (1988)

私が行ったマイケル・ジャクソン(1987年9月19日、西宮球場)に限って言えば、観客がすべてノッたわけではなかった。それはなぜか。マイケルのパフォーマンスの力が球場全体を包み込むまでに到らなかったこともあるが、同時に観客の「予習」が足らなかったからである。もちろん、すべてのアルバムを繰り返し聴いている熱心なファンも何割かはいた。しかし、残りの人々はあの《スリラー》のマイケル・ジャクソンを見に、「話の種に」、やって来たのである。 (P88)

 

 1988年の書籍ながらも、今にも通じる理論を読み取ることができます。音楽は時間の浪費であると同時に、時間の節約に寄与することがある(作業用の音楽など)ということや、カラオケが新しいヒットを生み出すと同時にスタンダードを生み出すことなどが説明されています。

 そして、30年前の書籍だからこその、「歴史的な記述」もいくつか見られます。この引用した部分は、今からみたら驚きの事象だと思います。海外アーティストで「話の種」になるような人が存在したのか、ということが今から考えると驚きです。これは「ノリ」を説明する項目で登場するエピソードでしたが、私は「ノリ」について学習すると同時に歴史にも触れることができました。

 30年前に発行された本でしたが、新しい理論を学ぶことも、また歴史を学ぶこともできて発見が多かった1冊でした。

 

 

・西田宗千佳 『ネットフリックスの時代』 (2015)

不完全なレコメンドは、人をむしろ苛つかせる。実際、レコーダーなどの「番組表のジャンル情報を活用するレコメンド」機能で、利用者の満足度が高いものはほとんどない。 (P146)

 

 この本は音楽についてメインで書かれた本ではありませんが、音楽ストリーミングについて考える上でとても役に立ちました。違うジャンルに触れることでこそ思いつくアイデアもあるのかもしれません。「他のジャンルからヒントを得る」ということをこれから積極的にやっていきたいです。

 この引用部分にあるレコメンドの話は音楽でもかなり大切なテーマだと思います。レコメンドはリスナーのジャンルを開拓する上で大切な機能ですが、精度が悪いと満足度が高くないどころか、リコメンドに興味を示さなくなる可能性があります。そして人によってレコメンドに求めるものが違うということもまた難しいです。そもそもレコメンドが必要のない人もいると思います。(このレコメンドの差がApple MusicとSpotifyの最大の違いでは?と私は考えている)

 他には「家事をしている時、Huluで「妖怪ウォッチ」を見せておくと、子どもたちは喜んでそちらに集中してくれるので、手間が省けるからだ。1本見終わっても、見るものはまだたくさんある」という点にも興味が惹かれました。今年“Baby Shark”という子供向け音楽がYouTubeで大ヒットし20億再生にまで到達したのですが、それの解説記事にも「この曲は子守りになる」と書かれており、映像と音楽の世界で共通する部分が多いのだと実感しました。

 ちなみにこの本では。1つの章を割いて音楽ストリーミングについても書かれています。

 

・金成隆一 『ルポ・トランプ王国』 (2017)

記者の取材を受けるのは初めてと言う人ばかり。彼らから見れば、私は海外メディアに過ぎない。それでも「オレに意見を求めてくれるのか」「長く話を聞いてくれてありがとう」と喜んでくれた。しばらくして、わかった。自分の声など誰も聞いていない。自分の暮らしぶりに誰も関心がない。あきらめに近い思いを持っている人たちが多かった。 (P259)

 

 そんな誰にも興味を持たれていなかった層へのインタビューを通して、トランプ王国が完成した経緯を追った1冊です。

 たしかに、トランプは傍から見れば「何で選ばれたのか?」とも思えるほどありえない人間です。実際この記者も選挙の段階では「いずれ落ちるだろう」と考えていたようです。しかしアメリカ内部ではトランプを選ばざるを得ないなるような状況が巻き起こっていたのです。

 中には「暴言に関しては好きではない」としながらトランプを選んでいた人もいました。彼らはアメリカン・ドリームの消失から生活難に陥りつつあり、希望を見いだせない状況が続いています。夢も希望も無い世界を打破できるのは、型破りな指導者だけだ!そこで現れたのがトランプなのです。

 以前Kanye WestがMake America Great Again帽子を被って問題になったことがありました。大統領の帽子を被っただけで問題になるのはよく考えたら変なことではありますが、トランプにはそれだけの「悪い説得力」があるのも確かです。

 じゃあ、なんでそんな人が大統領になったのか?その疑問に答えることができる1冊でした。

 

・山竹伸二 『「認められたい」の正体』 (2011)

[親和的他者]……愛と信頼の関係にある他者(家族、恋人、親友) →親和的承認

[集団的他者]……集団的役割関係にある他者(学校の級友、職場の同僚) →集団的承認

[一般的他者]……社会的関係にある他者一般の表象 →一般的承認  (P34)

 

 この本は私の悩みを解きほぐすのに大いに役立った1冊です。特にこの承認を3種類に分ける考え方はかなり助けられました。明確に掴みづらい親和的承認・一般的承認に対して、集団的承認は「頑張れば」手に入ることもあると分析されています。ブラック企業がそれの例の一つでしょうか?

 私はこの集団的承認を得ようとしていた時期もあり、組織の中で張り切ったつもりだったのですが、それがいつも空回りしてうまくいきませんでした。私はあまり上手に「縁の下の力持ち」みたいな役割はこなせず、「目立つか消えるか」の2択しかできないので集団の中で輝くすべをあまり持ち合わせていません。この親和・集団・一般の概念を知った時、私は過去をそう分析しました。 

 この考え方を自分に取り入れた後は「自分の機嫌は自分でコントロールする」という考えを身に付け、メンタルが安定してきた気がします。いま世の中を取り巻く「承認欲求」という怪物を読み解くための1冊だったと思います。

 

 

中島義道 『うるさい日本の私 それから』 (1998)

マジョリティ(多数派)の感受性から微妙にだが決定的にずれてしまった者は、もう救われないのだろうか?諦めるほかないのだろうか?平均的感受性をもつ者だけが、この社会で快適に生きることが許されるのだろうか?そうでないものは、共同体から排除されるか、そうされたくないために、時々刻々全身に突き刺さる苦痛を呑み込み、叫び声さえあげることができないのだろうか? 『うるさい日本の私』を書き上げてから、私の関心はますます純粋な音の問題からこうした独特の「差別」の問題へと重心が移っていった。 (P5)

 

 些末な街の注意案内、電車の中での促販放送……など、必要性が見いだせない街の「騒音」に悩んでいた筆者。そんな苦悩と戦いの日々を描いた1冊『うるさい日本の私』の続編にあたる1冊です。続編ですが、こちらの本のテーマのほうがより広い事象を扱っているので、『それから』から読んでも良いと思います。(私は『うるさい日本の私』も今年読んだのですが、こちらも好きでした)

 かつてN.W.A.のアルバムを「親近感が持てて、一緒に反抗できる仲間を求めている」ことを理由に白人の男の子も買っていたそうです。*1 この本もそれと似ていて、筆者は私にとって「悩みを代わりに訴える同士」なのだと思います。(この筆者は「仲間」や「同士」という言葉があまり好きではなさそうですが……)

 私は筆者のように、音に細心の注意を払うわけではないし(街のBGMが好きという訳でもないですが)、気になることがあっても「他人は他人」とスルーしてしまう性なので、筆者の考えとは合致しない部分もあります。それでもやはり感性がマイノリティな立場から「戦っている」筆者からはパワーを感じるのです。

 私も感性が人と違うと感じる場面がいくつかあり、それ故にうまくいかないこともありますが、その時はこの本のことを思い出して頑張りたいと思います。

 

・立入勝義 『ADHDでよかった』 (2017)

診断履歴が残ることで社会生活に支障をきたさないか、と私自身もドクターに事前のヒアリングで確認しました。ちなみに、その懸念に対するドクターの回答は 「ADHDの診断履歴が第三者からの照会で出てくることはまずなく、あったとしても、診断履歴があり薬を処方されていること自体は、問題に積極的に向き合っているということで肯定的に受け取られるはず」 (P14)

 

 先に断っておきますが、私はADHDではありません。そのような特徴はあまり見られませんし、あったとしてもH=衝動が少ないので、不注意先行型のADDの方が近いらしいです。(そうアドバイスされたことがあります)

 しかし、「自他共に認めるアイデアマンの私の頭の中は友人曰く『玉石混淆のおもちゃ箱』」や、「自分の性格やライフスタイルが健常者と比べても大きく違うことを知っているので、強がってはいても自分に対して『失敗者』というレッテルを貼ってしまいがちなのです。特に相手に自分の不出来な部分を発見されて、そこを追求されると落ち込み、だんだんその人と付き合うのが億劫に」など私にも当てはまる箇所があり、部分的にはADHD「っぽさ」もあります。

 私はADHDではないので当てはまらないこともよく書いてあったのですが、筆者が前向きにADHDを捉え活躍している姿には私も「生きるのが下手な人間」として勇気づけられます。かといって、「ADHDは最強である!」などは言わず、弱点にも向き合っています。

 「適度に」前を向ける、そんな1冊だと思います。本のタイトルが良い味を出していますね。

 

・pha 『ひきこもらない』 (2017)

ちょっと気を抜くと、いつの間にか前の家に帰る道を歩いていたりする。だめだ。そこにはもう帰る家はないのに。もうあの場所は失われてしまったのだ。わざとそんなことを考えてちょっと寂しい気分になってみるのが好きだ。 (P163)

 

 元々は「プロニート」などの称号で、新しい生き方の象徴として取り上げられてきたphaさん。しかし最近は著作が増えてきたからなのか、「ライター」として紹介されることも増えてきました。

 その自由な生活スタイルが注目されることが多いのですが、多くの人が見逃してしまうような細かい感情をキャッチすることがphaさんの真骨頂なのではないか?とこの本を読んで感じました。この引用部分以外だと、散歩の時にする「設定」の話が面白かったです。(頭のてっぺんから糸が出ていてその糸で天から吊られているのをイメージしながら歩く とか) あとは皮膚とサウナの話だとか

 私も街中を歩いていると、よくいろいろなことを思いつきます。よく街中のあらゆるものに脳内でツッコミを入れています。でもそのような日常の些細なことはすぐに忘れてしまうし、会話のテーマにするには抽象的で、話すのは難しいことだと思います。

 そのような感情をこの本では多く拾い上げており、私の日々の街中での妄想・空想の「話し相手」ができたような気持ちになって嬉しかったです。

 日常生活の中の「味」を思い出すことのできる1冊だと思います。

 

 

 今年は良い本とたくさん出会うことができました。個人的には本の内容をうまく記事とリンクさせることが出来たら面白いと考えています。来年も充実した読書生活を送れることを楽しみにしています!

 

 

*1:『ヒップホップはアメリカを変えたか?』 P100の描写より