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チャート研究者(自称)の自称とは? ~在野研究について~ 【読書メモ】

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↑の本から感銘を受けて、この本のテーマである「在野研究」などについて私が語る記事です。(あんまり音楽の話は出てきません)

 

 私のTwitterなどのプロフィールには“音楽チャート研究者です(自称)”と書いています。なぜ自称を付けているかというと、「学術機関で研究しているわけではない」ということを表すためです。「お墨付き」や目立った実績がまだ無いため、「まだまだ修行中の身分です」ということを表すための「自称」といった感じです。

 

 私は「学術機関で研究していない」ことを「自称」と表現しましたが、ほかに「在野研究者」という表現もあるようです。これを知ったのは、この「在野研究者」をテーマにした書籍『これからのエリック・ホッファーのために』という書籍でした。この本では狭義の学術機関に所属しない研究者を「在野研究者」と称しています。

 

 私は「研究者」と名乗ったものの、「研究者」とは何か?ということについて少し考えたタイミングだったので、この「在野研究者」というテーマは今まさに欲しいものでした。

 この本では自身も「在野研究者」である荒木優太さんが過去の在野研究者を紹介しながら、研究者の書いた文とあって引用なども明確でしっかりしています。それだけではなく過去の研究者の動向に「ツッコミ」を入れるなどのレトリック的工夫もあって、読み物としても楽しめました。(“!”なども織り交ぜて文体のリズムも良かったです)

 

 この本はEn-Sophというサイトで行われていた連載に加筆修正を行った本で、内容の一部はウェブで閲覧することもできます。

 

(一部取り上げられている研究者が違う)

 

 自分へのフィット具合、そして読み物としての内容……などから個人的な読書史上でかなり上位に入る一冊でした。

 この記事では『これからのエリック・ホッファーのために』から感銘を受けた私が、この書籍からどのようなヒントを得て、どのように感じたかなどを書いていきます。書籍でピックアップされていた「在野の心得」や、印象深かった人物をテーマに据えてそれについて私が語る……のような内容です。

 

◇在野の心得◇

 在野研究者の人生を紹介し、そこから在野研究の参考になりそうな項目を取り上げて、「在野研究の心得」として紹介しています。項目は40にわたります。その中から私のお気に入りを5つピックアップし、それについてコメントをしています。

 

全ての「心得」リストは↓のリンクに掲載されています。

  

その10 成果はきちんと形に残せ

 お金なしで上京するものの、「労働は下らない」として全く働かない……仕方がなく妻が働いて生活費を得る……そして最終的には別の女性と情死してしまう……という人生を送った「グウタラ哲学者」の野村隈畔。

 そんな彼の思想が現在にも伝わっているのは、生活のために「仕方なく」作り出した著作があったからです。

 

隈畔はぶつくさ文句を重ねつつも、ベルクソン論の処女作以降、コンスタントに著作を出しつづけていた。著作は10を超える。実際の物書き期間が10年なかったことを考えれば、多作の部類に入るだろう。そして、その多くは現在、近代デジタルライブラリーで誰でも閲覧することができる (P75)

 

 このエピソードから、成果を形に残しておくことの重要性を伝えています。仮にその時は読まれなかったとしても、アーカイブに残しておけば後々何かになるかもしれない……ということです。

 現代では形に残しておくことの重要性は上がっていると感じます。インターネットはアーカイブ性がとても高く、一回物を上げてしまえばその後は「発掘」される可能性がずっとあるからです。

 仮にニッチすぎる内容でも、未来にそれを必要する人が表れれば「運命の出会い」を果たせるかもしれません。この「未来」という部分を私は面白いと考えていて、インターネットに成果を上げればもしかしたら「未来への種」を撒けるかもしれない、ここに魅力を感じています。

 ほかに私は人生で一回くらいは「物」として自分の創作物を作れたら良いな~という思いもあります。物にすれば人に渡せる、という所に何よりも魅力を感じています。

 

 

その11 周囲に頭がおかしいと思わせる

 考古学者の原田大六のエピソードより。余計な干渉を呼び込まないためのテクニックとして記載されています。

 

そのぶん、コミュニケーションに巻き込まれるコストを支払わずにすむ。下手な期待でお節介されるよりも、「へんちくりん」として関係性を切るように誘導するのもひとつの手だ  (P81)

 

 「おかしい」と思わせることが最適解かどうかは分かりませんが、確かに良い部分だけを見せようすると、どこか息苦しく感じるということは私も実感しています。

 

 少し前まで「自分をできるだけ完璧に見せよう」という癖がありました。自分のダメな部分をできるだけ隠すために、見せる部分は完璧にしておこう!という考えだったと思います。そう考えていたからか、少し前までは記事等でミスをすると、そのミスをどう謝るか、どうリカバーをすべきなのか……などでその後1日ぐらい頭がいっぱいになってしまいました。

 しかしそれって実は逆効果で、完璧にしようとすればするほどミスをした時の「ギャップ」が大きくなってしまい、自分へのハードルを上げてプレッシャーをかけていることになります。そのプレッシャーがミスにつながる可能性も大きいですし、自分をよく見せようとするのは全く得策ではなかったのです。いくら高望みをしようと、「自分は自分」に過ぎないので……

 

 私はよく考えればミスをよくするような人間で、かなり「抜けている」部分も多いです。ハードルを上げすぎないようにも、最近はインターネット人格とリアル自分の人格を近づけるように試みています。 

 そのために「自分がどういう人間なのか?」ということや、音楽と関係ない内容の描写を時々挟むようにしています。この記事もその一環なのです。

 他に「人間性」が最近情報の一部である考えもあります。アーティストの人気動向などを見ていると、「アーティストの人間性」も評価の材料になっていることが伺えます。

 私もそれを参考にして「人間としての私の」発信を織り交ぜていけば、自分の文章が元々持っていた以上の影響力、波及力を持つ可能性もあるかもしれないと考えました。もちろんこれが必ずしもプラスに働くというわけでもないですが。(アーティストもあまり人間性を表さない人もいますし)

 

 元のテーマとはかなり脱線してしまいましたが、以上が私なりの「へんちくりん」の解釈です。

 

その15 在野では独断が先行しやすい

 婚姻史の研究者、高群逸枝のエピソードから。多くの発見と実績を残した彼女ですが、現在は改ざんなどが疑われ厳しい批判にさらされています。そのことから、独断が先行しやすい在野では学的コミュニティをいかに築くかが大きな問題であるとしています。

 

高群の残した研究生活の記録は極めて感動的だ。ただし、同時に明記しておかなければならないことがある。つまり、高群の婚姻史研究は今日、厳しい批判にさらされており、それは単なる間違いに留まらない資料の改竄さえ行っていたのではないか、と論じられているということだ (P103)

 

 個人的に気をつけなければならない項目だと考えています。自分はチャートなどの「対象」をマイペースにじっくり観察して、そこでの気づき発見を文字に起こしていく……という工程で記事などを作っています。そこでカギになるのは「細部へのこだわり」です。対象を細部まで観察したからこそ、の発見が数多く、他の媒体であまり無いような知見を文字に起こせているような気もします。

 ただその「細部へのこだわり」とは細部に「引っかかる」ということで、これは周りが見えていない状態とも言えます。そういう「こだわり」は多くの独自の発見に繋がるかもしれませんが、同時に些末なことに囚われすぎて重要なことを見逃してしまう可能性もあるのです。

 以前Apple Musicの会員増加は人々のアルバム志向?などと小難しく考えていたのですが、実はApple製品にプリインストールされていることが主な理由であるということが後に判明しました。これが私の「木を見て森を見ず」の例の一つです💦

 私にはそういう「些細な部分にこだわりすぎる」ことがあるということを自覚しつつ、外部の情報や視点もうまく取り入れられると良いです。重要なことを見逃してしまった場合は、それを切り替えて素直に訂正できるマインドも持っていきたいです。

 

 

 

その17 未開拓の研究テーマを率先してやるべし

 民俗学を研究していた吉野裕子のエピソードより。彼女は50歳頃に習い始めた日本舞踊の扇をきっかけに民俗学の研究をはじめ、そこから独学で研究を開始。「遅咲き」の研究者ながらも実績を残すことに成功しました。

 

どんな分野であれマイナーすぎて誰も手をつけていない未開拓の領域というものがある。それを第一に研究し発表することができれば、(多少の粗さがあったとしても)そこでパイオニアになることができる。そうなってしまえば大学人でさえその周辺に言及するさいは、第一の成果を無視することはできない (P113)

 

 ただの主婦だった彼女が、50歳から習い事で触れた扇をきっかけに学問を始め、大学人も無視できない大きな実績を残した、というシンデレラストーリーには夢を感じずにはいられません。

 私のTwitterやブログはもともと、音楽チャートに知っていることや調べて出てきたことを軽く綴るくらいのものでしたが、そうして書いているうちに興味関心が増幅していき記事がどんどん濃くなっていきました。

 その過程で感じたのは、「音楽チャート」を専門にした文章はあまり多くなく、私の疑問に答える文章がインターネット上ではあまり見つからないということです。その「未開拓」であることは自分をモチベートする一部分にもなっている気がします。

 こうして書き綴っていったものが学問に限らず、何らかのコミュニティの資産となればとても嬉しいです。

 

 しかしこの「独自の研究」は、前の項の「独断が先行する」と表裏一体でもあるので、バランスに気を払う必要もありそうです。

 

その40 この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか 

 これはこの本の著者の荒木優太さんが「最後に」の項目で残した言葉です。とても心に刺さりました。これから人生の標語の一つにしたいです。

 

 私は多くの場所で「アウトサイダー」だった気がします。小学校時代はよく授業を抜け出すような少年でした。次第にその傾向は改善し、問題行動は減っていったのですが、それでもクラスに馴染み切るようなことはあまりありませんでした。

 楽しいクラスや組織もいくつかはあったのですが、一人行動を好んだり、期待される行動が出来なかったりで「組織に寄与する」ということがうまくできなかった気がします。期待される行動が出来ない、ということは笑いに変換もできるので、”美味しい”時もあります。人を笑わせることは好きなのですが、笑いが必要ではない場面 / 笑いでは乗り切れない場面も人生には多く存在します……

 

 そういう「組織にうまく寄与できない」という自覚が出来てからは、いかに自分が出来ることを、出来る範囲でいかにするかを重視するようになりました。その結果生み出された私の足掻き方が、「物珍しいことをやって、世間の外側から何かを生み出そう」ということです。このような立場だからこそ、物珍しいことができるのでは?と考えたのです。

 この「足掻き」と自分が以前からやっていた「音楽チャート研究」というものがうまいこと合致し、今はこれをやっていてすごく楽しいです。

 そうやって足掻き続けて出来あがったものが、巡り巡って何かしらのコミュニティのヒントになる……ということが究極の目標です。

 

 この私の「足掻き」を一緒に楽しんでくださる方がいれば これ以上の喜びはないです。

 

 

印象に残った在野研究者

 

平岩米吉:「理解と愛」の融合 → 科学と芸術の融合

 『動物文学』という動物に関する雑誌を創刊した人物。この雑誌はもともと『科学と芸術』という名称であったこともあり、この雑誌は科学的/文学的の両面から動物について書かれていました。

 

科学だけでもいけないし、芸術だけでもいけない。この態度は「動物を手がけてゐる人」だけでも「文学畑の人」だけでもダメだとされた「動物文学」の考え方に引き継がれる。「動物文学」とは動物に対する「理解と愛」が不可欠であり、「科学と芸術」を含め、平岩の力点がその「と」にあっただろうことは想像にかたくない。 (P158)

 

 理詰めと、非科学的な側面「愛」の融合を目指した研究者です。このような考え方から文章も読みやすく作られており、それが逆に「大学人からの低い評価」(P159)にもつながったのですが、

 

考えてみれば、平岩にとって「理解と愛」の対象たる動物たちは彼の目の前におり、自宅こそが研究の最前線であった。しかも、発表のためのメディアは既に手中にある。なにを恐れることがあるだろうか? 独立系研究者のもっとも成功した姿を私は平岩米吉にみたいと思う。 (P160)

 と著者は氏を称賛しています。

 

 自分もこの路線を参考にしたいと思っています。心得11の項目で述べたように、音楽以外の面も出すことにも意義も最近感じているので、この雑誌のように「理解と愛」を私も取り入れてみたいです。

 遠い昔(ブログなどをやる前)にはエッセイ系路線の文章を書いてみたい!と考えていた時期もありましたし、様々な創作をしてみるのも面白いのかもしれません。私の人生の最大目標は、「自分が死ぬ時に何を残せているか……」なので、それが音楽関連以外の形であってもそれはそれで面白いとも思います。

 

南方熊楠 → 森の中で研究

 本書では「在野界のスター」と紹介されている知名度のある南方熊楠。一時期はアメリカやイギリスへ渡り、ネイチャー誌に寄稿をするなど大きな結果を残しました。しかし親が亡くなったことで仕送りが途切れ、帰国。その後は故郷の和歌山に戻り、熊野の森で粘菌採取につとめました。あまり自分の研究を広める意思がなかったことから、正式な初の著書が出版されたのは60歳の時でした。あまり研究を広める意思が無かったのは、そういう方向(名誉・地位)に研究を進めるのは邪道と可能性があるからだそうです。

 しかし引きこもって一人で研究していたわけではなく、彼は人々との交流からも学んでいました。娘曰く、南方熊楠はよく銭湯に出向いてそこにいる人々の話を聞いていたそうです。

 

 私もとにかく最近は「いかに自分が満足に研究するか」を重視していて、南方熊楠の「森の中でひたすら研究」という姿は憧れの一つであります。なんというか、「森の中」で熱心に己を極めているっている「イメージ図」みたいなものがすごいぐっとくるというか……

 しかし私は「周りから話を聞いてそれを学習に役立てる」ようなことはまだできていないので、その点は今後取り入れていきたいとも思います。自分の知識を他人の知識をかけ合わせてみたら、どのような化学変化が起こるのか……などは気になる部分ではあります。

 

 もう一つ気になったのは、「研究を広めようとしなかった」という部分です。現代も変わらず、研究の内容とそれを広めることには別のベクトルへの労力が必要で、それを邪道に感じるという感覚を理解することはできます。

  現在私の中では「自分のしたいこと」>>>「バズ」であるので、「バズ」をどう捉えるべきものなのか、ということが少し悩ましいです。

 個人的には目立たない場所でとマイペース研究をじっくり続けているほうが自分のイメージには合っているのですが、あまり「目立たない」にベクトルを向けすぎると、自分の最終的な目標である、「巡り巡って何かのヒントになる」が達成できなくなってしまうので、このバランスは難しいところですね。