チャート・マニア・ラボ

音楽チャート・ポップス研究者(自称) ポップス音楽と食べることが好きなオタク

2019年 マイ・ベスト読書

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 今年読んで気に入った10冊を紹介する記事です。「今年」は私が今年読んだかを基準にしています。かなりマイペースに読書しているので、今年出た読みたい本をまだ読んでいないケースが多々あります。来年以降にご期待ください。並びは順位ではないです。主にジャンルで並べています。

  昨年版はこちら:2018年 マイ・ベスト読書 - チャート・マニア・ラボ

 

 

烏賀陽弘道 『J Popとは何か』 (2005)

 

余談だが、「Jポップを産業として分析する本を書いています」というと、マスメディア界だけでなく、当のJポップ業界にさえ「Jポップにそんな価値があるのですか」と露骨に冷笑する人が多いのには辟易した。正当な理由もなくポピュラー音楽を蔑視する偏見はまだまだ根強いようだ。この本をきっかけとして、日本のポピュラー音楽を知的に分析しようという試みが盛んになることを祈っている。 (P234)

 

 引用部分にあるように、研究があまりされてこなかった未開のジャンルの研究を切り開いた一冊としてとても意義のある一冊と感じました。

 J-Pop研究の先駆けとして、多く引用されている名著です。この著作ではJ-Popという言葉の誕生について説明されており、特にこの記述がよく引用されている印象です。(洋楽を中心にかけるJ-Waveでかけられる日本語ポップがJ-Popの先駆け的存在)

 

 アメリカに住んでいた著者は、外からJ-Popを眺めるところから分析をスタート。そして最終的に「日本人が外国人の視点を借りて考えた自称という、非常にねじれた意味構造」(P17)を発見します。

 そして「外国でも注目されている」という雰囲気が国内人気を高めるという構図を見出します。ここでは実際に売れているかは関係なく、海外へ進出することのみでも十分に熱狂すると記述されています。筆者は日本人歌手が海外に挑戦する際の熱狂ぶりをオリンピックに例えています。

 

 この本にはもう一つ注目の記述がありました。筆者は著作権料に目をつけ、J-Popの輸出割合を調べました。すると輸出はアニメ/ゲームコンテンツが中心で、割合では0.5%に過ぎませんでした。これがインターネット・ストリーミング時代でどのように変化しているか、は気になるテーマです。(ちなみにSpotifyでは、多くのJ-Popが再生数の1割程度が海外からのものです)

 2017年にはこの本の続編が出ていたようなので(最近知った)、そのうち読んでみたいと考えています。

 

 

・ゾーイ フラード=ブラナー / アーロン M グレイザー 『ファンダム・レボリューション』 (2017)

 

超ハードコアなファンでさえ、大好きなバンドが解散しても世界が終わらないことはわかっている。でもそんなふりをするのは楽しい。2015年のはじめ、もしゼイン・マリクがワン・ダイレクションから抜ければ、世界が終わって生きる意味がなくなるとファンは口々に言っていた。もちろん、世界は終わらなかったし、生きる意味もなくならなかった。 (P229)

 

 あえて順位をつけるとしたら、後述の『これからのエリック・ホッファーのために』と並ぶ1位有力候補かもしれません。初音ミク、バフェット、安い地ビールなどを例に挙げながら、現代あらゆる場面で効果を発揮するファンダムについて迫った一冊です。

 この本を読んで多くのことを学びましたが、特に「スマートファン」という概念は非常に参考になりました。

 

内幕に詳しいプロレスファンは「スマートファン」とも、「インターネットファン」とも呼ばれる。インターネットの普及によって、内幕に詳しいファンが増えた。スマートファンは見世物としてのプロレスを楽しむだけでなく、その大げさな舞台作品をお膳立てし演じるための技術や筋書きやドラマ的な難しさを評価する。 (P228)

 

 この「スマートファン」で検索しても小型扇風機の情報しか出てこないので、あまり流通している表現ではないのかもしれませんが、私はこの概念に興味を持ちました。筆者は、すべてのファンはこの「スマートファン」であると述べています。

 

すべてのファンは、ある意味でスマートファンだ。自分の愛するオブジェクトをが、ターゲットに訴求するように注意深く作られたものだということを、みんな理解している。ファンダムとは、少なくとも部分的には作りものの文脈にあえて乗るということだ。 (P228)

 

 最初に出したゼインの引用は、この「あえて乗る」一例として紹介されています。私はこの記述を見て、昨年@Chartdata氏は「人々のチャートへの興味が増加しているように思う」と述べていたことを思い出しました。これはファンたちがチャートを「内幕」の一種、つまり「アーティストの物語」の一部として捉えているからではないか、と考えたのです。

 

 

・ティエン・ツォ 『サブスクリプション』 (2018)

 

同じ年(筆者注:スティーブ・ジョブズが「音楽のサブスクリプション・モデルは破綻している」と語った2002年)にデヴィッド・ボウイは、「音楽は水道や電気のようになるだろう」と語って先見性のあるところを示した。 (P77)

 

 いわば現代サブスクリプションの教科書のような一冊。現代のサブスクリプション・ビジネスのモデルについて解説されています。音楽に関する話題も多く紹介されています。昔は友達経由でしか到達できなかった音楽に、今はSpotifyアルゴリズムやプレイリストで到達できることや、カニエの「生きるアルバム」など……

 「よく目立つ”デジタル・ネイティブ”世代のメディア」(P104)など、広告モデルの行き詰まりを指摘しながら、サブスクリプション・モデルの利点を挙げています。

 筆者はこのモデルの長所は安定した収益を長く手に入れられること、としています。一回登録してしまえば、多くの場合それが継続されるからです。このモデルがいつまで安泰なのかは分かりませんが、「現在」を理解するうえで優秀な教科書だと感じました。

 

 

クリス・アンダーソン 『フリー』 (2009)

 

フリーはまちがいなく破壊的だが、その嵐が通ったあとに、より効率的な市場を残すことが多い。大切なのは、勝者の側に賭けることだ。 (P175)

 

 10年前に発行された名著。「なんでタダでも良いの?」という根本的な疑問に応える1冊で、今読んでもしっかり読み応えがありました。

 フリーの特長を様々な角度から分析していますが、特に興味深かった記述が2つありました。まず0と1の差。1セントでも値段が付くと、それをするか/しないという選択をする「心理的コスト」が発生するので、それを手に入れるのが面倒になるという話です。

 もう一つは、ものを無料で手に入れられると、さらに良いものが欲しくなるケースがあるという指摘です。文中ではオフィスにある無料コーヒーが良質なコーヒーの需要を起こす、という例で説明されています。

 

 ただ一点だけ現在とは違う点を挙げるとすれば、インターネット上の広告に関するエピソードです。筆者のサイトの読者が、そこに掲載される広告を「それが広告とは思いもしなかった」として、筆者は「広告はネガティブな印象をほとんど与えない」としています。

 しかし上記の『サブスクリプション』で、インターネット上の広告モデルはサブスクリプションと対になるネガティブな例として挙げられています。時代が変化し、広告の量や質が変化したからなのか、それとも読者側が広告に目くじらを立てるようになったからでしょうか。

 

 

・土橋臣吾 『デジタルメディアの社会学』 (2011)

 

現在のモバイルデバイスの持ち主には4タイプ存在することが確認できた。

・ランダムに流れてくるコンテンツに感覚的に接触するDPタイプ

・大量にデバイスに保存するが同じコンテンツばかり再生するCDタイプ

・PCのコンテンツを厳選してデバイスに転送しているMDタイプ

・膨大なコンテンツを自覚的に使いこなしているDJタイプ (P105)

 

 デジタルメディアに関する複数名の論考が並ぶ一冊です。目を引いたのは南田勝也さんの「iPodはコンテンツ消費に何をもたらしたか」の章でした。この章では人々にiPodの使い方を調査しているのですが、それに基づいた4タイプの分類が非常に興味深かったです。(上記の引用部分)

 

 DPタイプは手当り次第P2Cサイトで曲をダウンロードしまくり、適当にシャッフルして気に入るものを見つけるという方法。この手法は違法で、褒められたものではないですが、たしかに存在する現象を記録に残すことは意義深いと思います。これを文字に起こした著者に感謝です。

 CDタイプはお気に入りのアルバムを重点的に聞く方法。多くのCDが揃う棚から似たようなアルバムばかり取り出す行為と似ているため、この名称がついています。

 MDタイプは上記のCDタイプの亜種で、そもそもiPodに入れている曲数も少ないというタイプです。

 最後のDJタイプは、多くの音楽を携帯した上で、それらをどのような物か認識しながら聴いているというタイプです。このタイプは希少種ということが指摘されており、文章内に登場する21歳のDJタイプに筆者は驚いていました。ちなみに彼はDPタイプで登場する人物とは違い、違法ダウンロードの類は一切行っていないようです。(家族がたくさんCDを持っていたことも大きいらしい)

 

 これの何が面白いかというと、ストリーミングにも十分適用できるということです。むしろ、聞き方がよりダイレクトにチャートに反映されるようになった現代では重要なテーマだと考えています。ストリーミング時代に当てはめると以下のような感じでしょうか。

 

DPタイプ:無料媒体での再生が中心の人。Music FM使っている人もいそう

CDタイプ:ストリーミングを始めたものの、既知のアーティストを中心に聴く人

MDタイプ:そもそもストリーミング使わない人

DJタイプ:ストリーミングを機に、聴くジャンルが広がった人

 

 ストリーミングのサービス側が推奨するタイプはおそらくDJタイプなのだと思います。各サービスの「見つける」などの欄を見ると、プレイリストなどを活用し多様な音楽を聴くことを推奨してきます。これで実際に幅を広げる人も多いとは思いますが、CDタイプもかなりの数が残っていくのでは、と個人的には推測しています。

 もっとこの分類分析を本格的に行うのも面白そうです。(もう既にあるならば、読んでみたいです!)

 

 

小川博司、小田原敏、粟谷佳司 『メディア時代の広告と音楽』 (2005)

 

中学校進学を控える六年生で帰国したこともあり、学習塾に通ったが、当時、とくに小学生たちに流行だった先の『ウリナリ』の番組中で歌われたヒット曲、ブラビの「タイミング」について、クラスメイトたちが学校で盛り上がっているのを横目で見ながら、自分はこの番組を塾通いの都合で視聴することができなかったため、話題にさっぱりついていけなかったという。しかし、それでは仲間に取り残されてしまう、困ったことになるぞ、と一念発起し、「日本文化」に早く追いつかなくては、とすぐさま学習塾を辞め(家族も本人の決意に快く賛同してくれたという)、毎週金曜日の夜8時から9時まで同番組にかじりつくという涙ぐましい努力で歌を覚えたという。 (P153)

 

 私は音楽に触れ始めた時期が遅いため、それ以前の知識があまりありません。そのため、この本のように歴史を振り返る本で得る知識は頼りになります。また、この本自体も14年前のものなので、ここで「当時の内容」として書かれている内容もありがたいです。 

 この本で特に興味深かったのは広告音楽を含む音楽とのかかわり合いを学生にインタビューする章です。ここの章は昨年のベスト読書記事で紹介した『音楽をまとう若者』の著者の小泉恭子さんが担当しています。

 引用部分は当時の同調圧力の強さを物語っています。「昔の同調圧力はえげつなかった=今の同調圧力はマシ」というエピソードをよく聞くのですが、今の小学生はどうなんですかね?

 この章ではほかに、家族カラオケの影響で米米CLUBを歌う小学生・ロッキングオンタワレコの試聴などで得た情報を仲間に伝える高校生などのエピソードが紹介されています。

 先に述べたように、ストリーミング時代では聞き方は重要な研究材料であるように思います。このような個人の聞き方エピソードの記録が文字で残っていることに感謝です。

 

 ちなみに私(おそらくここで登場する人物より若干年下)は小学生時代「オレンジレンジ知らないの?ダサっ!」ってクラスの人に言われた記憶があります。それを機になんだかJ-Popは自分から遠い存在と認識した記憶があります。

 ただ、上記の内容ほどの同調圧力は無かったような気がします。それは私が空気を読めないタイプの人間なので、「圧」に鈍感だっただけかもしれませんが!

 

 

・陳 怡禎 『台湾ジャニーズファン研究』 (2014)

 

Dさんが松本とカップリングする対象が実際にはジャニーズアイドルに限られる点だ。松本はマスメディアなど公的な場で、ジャニーズ事務所に所属していない俳優の小栗旬とも親しい友人関係だと明言している。しかしDさんにとって、そうしたジャニーズアイドル以外の男性を含む関係性には「萌える」要素が欠けていて、そのため関心が向かないのだ。 (P146)

 

 ディープなテーマを掘り下げた一冊。私はジャニーズ関連には明るくないのですが、ファンダム形成の一例として興味深かったです。グレーな事例も含む、ディープなファン受容が紹介されており、貴重な資料だと感じました。(上記で紹介したカップリングゲームは基本的に禁じられていることから、「J禁」と称されています) 

 ここ1年でジャニーズ事務所は大きく戦略を変えているようなので、それがこのようなコミュニティにどのような影響を及ぼすのかも気になりますね。

 

 

・荒木優太 『これからのエリック・ホッファーのために』 (2016)

 

在野研究の心得その40、この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか。約めていえば、本書のメッセージはこれに尽きる。 (P253)

  

 自分の状況にドンピシャだった一冊。「今後自分はどのような文章を書いていけばよいか」ということを考え直すきっかけになりました。(それを書いた記事:チャート研究者(自称)の自称とは? ~在野研究について~ 【読書メモ】 - チャート・マニア・ラボ) 引用部分にあるように、私も〈あがいて〉生きていたいです。

 

 この本は続編も出ており、早く読みたいです。今回紹介した版は過去の在野研究者を紹介しているのに対し、続編では現役の在野研究者を紹介しているようです。

 

 

・大原扁理 『年収90万円で東京ハッピーライフ』 (2016)

 

老後の不安とか、年金とか、病気になったときとか、考えると不安な方もいるかもしれません。不安は、育てようと思えばどこまでも大きくなるものです。 (P157)

 

 少ない年収で工夫するスタイルで生活する大原さん。その遍歴や、当時の生活方法を語った一冊です。(現在は台湾に住んでいるらしいです) 親しみやすい文体も特徴だと感じました。(文章にうまく話し言葉を混ぜている)

 このスタイルで生活していく上では、巧みな節約方法ももちろん必要なのですが、それ以上に重要なのは「気持ちの持ちよう」です。引用部分にあるような、メンタルの保ち方に関する記述が文章中には多く登場します。実際に90万円生活を志さない人でも、得るものは多い一冊だと思います。

 

 あと筆者はゲイなのですが、それに対する捉え方が新鮮で興味深かったです。パレードに行ってみたものの、あまりピンと来ずに帰宅したそうです。

 

たしかにゲイではあるんだけど、それはわたしの中では、何をどう頑張っても「愛知県出身」というのと同じぐらいの分量しか占めてない。普段から出身県を考えて生きているわけじゃないし、県民性に真剣に向き合ったこともない。ゲイって忘れてることもよくあります。 (P51)

 

 

・pha 『がんばらない練習』 (2009)

 

自分が好きかどうか。それもよくわからない。「自分が好きか」という問いは僕にとって「地球が好きか」とか「自分が好きか」という質問と同じで、それは「好きも嫌いもなく絶対の前提としてあるもの」でしかない。「自分が好き」というと言える人は、他人と自分を比べたり、他人から見た自分の像を意識しているということなので、僕よりも社会性があるんじゃないだろうか、と思ったりする。 (P111)

  

 私はphaさんの本を全部読んでいるのですが、なんというかこの本は一番「芸術」っぽい作品でした。今までの作品よりもライフハック的な記述が少なく、個人の心情にフォーカスしていることが理由でしょうか。本人も「情緒や感情の話しかしていない」と説明しています。

 コラム集であるこの本は、それぞれのエピソードで細かい感情を拾いあげているような印象です。今まで気に留めなかったような感情が抱きしめられるような感覚があり、タイトル通り「がんばらない」をするための下地づくり材料が揃っているきがします。自然に体に馴染む感じなので「練習」というよりは「薬」ですかね。(ちなみに薬のコラムもあります。お気に入りのエピソードです)

 

 一方で、最後のエピソード「猫をなでて一日が終わる」がなかなか強烈です。かわいげなタイトルと裏腹に、かなりグロテスクな描写もあります。このエピソードで〆るのはなかなか挑戦的だと感じました。音楽のアルバムも曲の配置が重要な要素の一つですが、本にもそのような「配置学」の美学があるのだと思いました。